オンライン酒蔵留学 レポート記事
【京都府京都市・松井酒造】香りと味わいが高次元に調和する日本酒「神蔵KAGURA」。創業300...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第23回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた松井酒造(京都府)をご紹介いたします♪ 松井酒造(まついしゅぞう)について 京都の市街地、かつて「洛中」と呼ばれたエリア――明治中期には"131軒もの酒蔵が軒を連ねていた"といいます。しかし都市化の流れで、その数は激減。現在まで酒造りを続けているのは、"わずか2軒のみ"となっています。その貴重な一軒が、今から約300年前の享保11年(1726年)創業の松井酒造です。創業当初は、但馬国高木城主家臣であった四代目当主 松井治右衛門(じえもん)により現在の兵庫県香美町で酒造りを行っていました。さらに創業時の松井家は「天神丸」「八幡丸」という2隻の船で北海道と交易をしており、酒を積んで向かった先は北海道「千歳」。 同蔵の代表銘柄である「富士千歳」の名に、その当時の背景をうかがうことができます。その名に込められているのは、「霊峰富士に航海の安全を祈願し、お客さまの千歳の幸せを願った」という縁起だと伝えられています。しかしその縁起の底には、当時は過酷であった船旅への切実な感情も伝わってきます。300年という長い歴史を持つこの松井酒造の道のり。他の歴史ある酒造の例にもれず、決して順風満帆ではありませんでした。同蔵の長い歴史をさかのぼると、時代に翻弄されては何度か移転を余儀なくされたのです。現在の松井酒造は"マンションの1階"という、一見すると酒蔵とは思えない場所にあります。しかしここに戻るまでにも"40年”という歳月がかかっているのです。
【京都府京都市・松井酒造】香りと味わいが高次元に調和する日本酒「神蔵KAGURA」。創業300...
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【大分県佐伯市・大地酒造】笑顔の花が咲く日本酒「花笑み」!佐伯の清酒と焼酎文化を絶やさない想い...
オンライン留学酒蔵レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんと直接つながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 この記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介! 今回は、第24回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた大地酒造(大分県)をご紹介いたします♪ 九州大分県の最南部に位置する美食の街「佐伯市」にて明治18年(1885年)に創業。佐伯藩を取り囲む毛利家御用達の清酒として長きに渡り親しまれていました。 こんな歴史ある酒蔵も五代目蔵元「大地正一」の代には後継者問題で廃業の危機に陥ります。大地酒造の窮地を聞きつけた現六代目蔵元「池田」氏が、「佐伯の清酒と焼酎文化を後に残さなければ」と立ち上がりました。 大地酒造に広がった池田社長は、五代目の元でお酒造りを学び、2019年(令和元年)には事業承継という形で蔵を引き継いでいくことに。そして、数か所の造り酒屋で酒づくりの経験を重ねた弟の「池田司」氏を杜氏として招き入れ、新生大地酒造を再スタートさせます。 2020年(令和2年)には、酒造りで最も重要なより良い水を求め、蔵を佐伯市船頭町から上浦へ移設。仕込部屋や貯蔵庫の空調を完備し、アプリで室温を管理するなど蔵とともに作業の質もアップデートしました。
【大分県佐伯市・大地酒造】笑顔の花が咲く日本酒「花笑み」!佐伯の清酒と焼酎文化を絶やさない想い...
オンライン留学酒蔵レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんと直接つながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 この記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介! 今回は、第24回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた大地酒造(大分県)をご紹介いたします♪ 九州大分県の最南部に位置する美食の街「佐伯市」にて明治18年(1885年)に創業。佐伯藩を取り囲む毛利家御用達の清酒として長きに渡り親しまれていました。 こんな歴史ある酒蔵も五代目蔵元「大地正一」の代には後継者問題で廃業の危機に陥ります。大地酒造の窮地を聞きつけた現六代目蔵元「池田」氏が、「佐伯の清酒と焼酎文化を後に残さなければ」と立ち上がりました。 大地酒造に広がった池田社長は、五代目の元でお酒造りを学び、2019年(令和元年)には事業承継という形で蔵を引き継いでいくことに。そして、数か所の造り酒屋で酒づくりの経験を重ねた弟の「池田司」氏を杜氏として招き入れ、新生大地酒造を再スタートさせます。 2020年(令和2年)には、酒造りで最も重要なより良い水を求め、蔵を佐伯市船頭町から上浦へ移設。仕込部屋や貯蔵庫の空調を完備し、アプリで室温を管理するなど蔵とともに作業の質もアップデートしました。
【滋賀県豊郷町・岡村本家】その幅広い精米歩合はノーベル賞もの!彦根の銘酒「長寿金亀」を飲み比べ...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第25回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた岡村本家(滋賀県)をご紹介いたします♪ 滋賀県で一番小さな町、滋賀県犬上郡豊郷町。彦根の少し東側に位置し、日本最古のブランド牛である「近江牛」発祥の地として有名な場所。 また、良質な近江米の産地でもあり、自然豊かな田んぼの景色が伸びるエリアに岡村本家の蔵があります。風がやさしく、水の気配が近い土地。この空気感が、そのまま酒の味になっている──そんな蔵元です。創業は安政元年(1854年)にまで遡り、当時の彦根藩主・井伊家に命じられて酒造りを始めたという記録が残っています。そんな長い歴史を持った岡村本家のシンボルともいえる1本は、「長寿金亀(ちょうじゅきんかめ)」。これは彦根藩の権威や伝統を象徴する存在である彦根城の別名「金亀城(こんきじょう)」に由来します。この名を藩主からいただいたというエピソードだけで、初代蔵元がどれだけ藩主に期待をされ、またそれに蔵が応えたかを示していると思います。さらに初代がこの地に蔵を立てる際に、相当なこだわりがあったのだと伺えるエピソードがありました。"蔵の場所を決めるまでに2年の歳月をかけた"のです。それはこの地で酒を醸すにあたり、「酒造りに適した条件は譲れない」という思いを貫くための時間でした。この「2年間」を深く理解するヒントは、まず“土地”です。蔵を構える吉田周辺は、鈴鹿山系を水源とする川の流れがつくった肥沃な地域で、昔は低地で水害も多かったそう。しかし水が集まる場所には当然田んぼが広がり、米が育つ。 初代がなぜこの地に酒蔵を構えたのかは、ここからも伝わってきます。吉田は古く「善田(ぜんだ)」という地名で呼ばれており、文字通り“よい田んぼ”の意味。良質な近江米の産地として米作りが盛んだったことが、酒造りにも最適であることを踏まえ、初代はこの地に根を張る決意をしたのです。そして、そんな歴史的な背景がしっかりと今の酒造りにつながっているのが岡村本家の特徴。原料米は、吉田で栽培された「環境こだわり農産物認定」の米のみを使用していることからも、米へのこだわりが伝わってきます。さらに伊吹山から吹いてくる寒風は酒造りに適しており、発酵のコントロールがしやすい。これらが、初代が必要な条件が揃う場所を選び抜いた理由。そんな初代からの長い長い歴史を経て、岡村本家の節目が1990年代に訪れます。
【滋賀県豊郷町・岡村本家】その幅広い精米歩合はノーベル賞もの!彦根の銘酒「長寿金亀」を飲み比べ...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第25回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた岡村本家(滋賀県)をご紹介いたします♪ 滋賀県で一番小さな町、滋賀県犬上郡豊郷町。彦根の少し東側に位置し、日本最古のブランド牛である「近江牛」発祥の地として有名な場所。 また、良質な近江米の産地でもあり、自然豊かな田んぼの景色が伸びるエリアに岡村本家の蔵があります。風がやさしく、水の気配が近い土地。この空気感が、そのまま酒の味になっている──そんな蔵元です。創業は安政元年(1854年)にまで遡り、当時の彦根藩主・井伊家に命じられて酒造りを始めたという記録が残っています。そんな長い歴史を持った岡村本家のシンボルともいえる1本は、「長寿金亀(ちょうじゅきんかめ)」。これは彦根藩の権威や伝統を象徴する存在である彦根城の別名「金亀城(こんきじょう)」に由来します。この名を藩主からいただいたというエピソードだけで、初代蔵元がどれだけ藩主に期待をされ、またそれに蔵が応えたかを示していると思います。さらに初代がこの地に蔵を立てる際に、相当なこだわりがあったのだと伺えるエピソードがありました。"蔵の場所を決めるまでに2年の歳月をかけた"のです。それはこの地で酒を醸すにあたり、「酒造りに適した条件は譲れない」という思いを貫くための時間でした。この「2年間」を深く理解するヒントは、まず“土地”です。蔵を構える吉田周辺は、鈴鹿山系を水源とする川の流れがつくった肥沃な地域で、昔は低地で水害も多かったそう。しかし水が集まる場所には当然田んぼが広がり、米が育つ。 初代がなぜこの地に酒蔵を構えたのかは、ここからも伝わってきます。吉田は古く「善田(ぜんだ)」という地名で呼ばれており、文字通り“よい田んぼ”の意味。良質な近江米の産地として米作りが盛んだったことが、酒造りにも最適であることを踏まえ、初代はこの地に根を張る決意をしたのです。そして、そんな歴史的な背景がしっかりと今の酒造りにつながっているのが岡村本家の特徴。原料米は、吉田で栽培された「環境こだわり農産物認定」の米のみを使用していることからも、米へのこだわりが伝わってきます。さらに伊吹山から吹いてくる寒風は酒造りに適しており、発酵のコントロールがしやすい。これらが、初代が必要な条件が揃う場所を選び抜いた理由。そんな初代からの長い長い歴史を経て、岡村本家の節目が1990年代に訪れます。
【富山県魚津市・魚津酒造】海に生きる人々から愛され続けてきた日本酒「北洋」!再生蔵から次の10...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第26回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた魚津酒造(富山県)をご紹介いたします♪ 魚津酒造(うおづしゅぞう)について 日本海と山岳地帯が近い“富山らしい地形”の港町、富山県魚津市。夏には港に浮かぶ蜃気楼。海底には2000年前の杉林が噴火や洪水で海底に沈んでそのまま保存されているというとても希少な天然記念物「埋没林」。海の幸ではホタルイカが獲れるなど様々な表情を1年を通して見せてくれます。 そんなバラエティ豊かな気候風土を持った北陸の大地に「魚津酒造」は蔵を構えます。魚津酒造は2023年に生まれ変わったばかりですが、蔵の歴史は約100年。1926年(大正15年)創業の「本江酒造」を前身とし、長い間「北洋」の銘柄で地元に愛されてきました。 「北洋」の由来は、地元魚津港が鮭鱒船団で賑わう北洋漁業の船団基地であったため、その隆盛に肖ってと命名したと伝えられており、一貫して海の人々に寄り添う酒造りが行われてきたのです。 北陸特有のコントラストに富んだ気候の魚津ですが、特に冬の寒さは酒造りには理想的な環境であり、雑菌の活動が抑えられ、低温発酵を安定して行うことができます。もちろん、仕込み作業を行う蔵人にとっては大変厳しい冬ですが、日本酒にとっては“最高の季節”。その他、立山山麓水系の豊富な伏流水、兵庫県産の山田錦、富山県初の自主開発酒米雄山錦をもとに、本江酒造は、銘柄の由来に恥じない海の幸に合う酒を造り続けてきました。しかし、そんな日本酒造りに最適な土地柄でありながら、近年、設備老朽化や後継者不在が深刻化し、酒造りの継続が危ぶまれる状態に陥りました。「もう地元の酒は飲めなくなるのか...」という声も出始めていた頃のこと。その"土地の自然が持つポテンシャルを無くしてはいけない"という強い想いを持ったある一人の男に白羽の矢が立ちます。その人物とは、酒蔵再生のプロフェッショナル――日本酒キャピタル代表・田中文悟(BIGBOSS)社長。秋田の「阿櫻酒造」、南部杜氏発祥の里として知られる岩手の「紫波酒造店」など、多くの蔵を立て直した実績から"BIGBOSS”の異名を持つ人物。とはいえ、そんな異名のイメージとは違い、田中社長はよく笑い、よくしゃべり、決して怖い人ではありません(笑)むしろ、親しみやすさすら感じます。「失敗を失敗と感じない。だからそもそも失敗なんてないんです。失敗しない味の成功はない」 この言葉に象徴されるように、彼の再生哲学はとても前向き。「魚津の水と風土には、まだまだ可能性がある」と確信し、蔵を引き受ける決意を固めました。 こうして、2023年に本江酒造は魚津酒造へと名を改め、再生蔵への道を歩み始めたのです。 本江酒造時代からの銘柄「北洋」「蜃気楼の見える街」を引き継ぎ、お米本来の旨味と香りを感じられるよう、R4BYより純米蔵へと転身。さらには無濾過生原酒をメインとした特約店限定流通の新ブランド「帆波」を発売。この「帆波」が【令和5酒造年度全国新酒鑑評会】にていきなり入賞を果たしました。また、【SAKE COMPETITION】純米大吟醸部門でも上位入賞を果たすなど、魚津酒造は、事業承継後間もないながらも見事に快進撃を披露しています。 酒蔵再生請負人であるBIGBOSS、魚津酒造の蔵人、そして魚津の地酒を愛する人々の想いがあったからこそのこの復活劇。 魚津酒造は、今後も港町に根を張りながらこれからの100年に向けて大きな一歩を踏み出しているのです。
【富山県魚津市・魚津酒造】海に生きる人々から愛され続けてきた日本酒「北洋」!再生蔵から次の10...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第26回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた魚津酒造(富山県)をご紹介いたします♪ 魚津酒造(うおづしゅぞう)について 日本海と山岳地帯が近い“富山らしい地形”の港町、富山県魚津市。夏には港に浮かぶ蜃気楼。海底には2000年前の杉林が噴火や洪水で海底に沈んでそのまま保存されているというとても希少な天然記念物「埋没林」。海の幸ではホタルイカが獲れるなど様々な表情を1年を通して見せてくれます。 そんなバラエティ豊かな気候風土を持った北陸の大地に「魚津酒造」は蔵を構えます。魚津酒造は2023年に生まれ変わったばかりですが、蔵の歴史は約100年。1926年(大正15年)創業の「本江酒造」を前身とし、長い間「北洋」の銘柄で地元に愛されてきました。 「北洋」の由来は、地元魚津港が鮭鱒船団で賑わう北洋漁業の船団基地であったため、その隆盛に肖ってと命名したと伝えられており、一貫して海の人々に寄り添う酒造りが行われてきたのです。 北陸特有のコントラストに富んだ気候の魚津ですが、特に冬の寒さは酒造りには理想的な環境であり、雑菌の活動が抑えられ、低温発酵を安定して行うことができます。もちろん、仕込み作業を行う蔵人にとっては大変厳しい冬ですが、日本酒にとっては“最高の季節”。その他、立山山麓水系の豊富な伏流水、兵庫県産の山田錦、富山県初の自主開発酒米雄山錦をもとに、本江酒造は、銘柄の由来に恥じない海の幸に合う酒を造り続けてきました。しかし、そんな日本酒造りに最適な土地柄でありながら、近年、設備老朽化や後継者不在が深刻化し、酒造りの継続が危ぶまれる状態に陥りました。「もう地元の酒は飲めなくなるのか...」という声も出始めていた頃のこと。その"土地の自然が持つポテンシャルを無くしてはいけない"という強い想いを持ったある一人の男に白羽の矢が立ちます。その人物とは、酒蔵再生のプロフェッショナル――日本酒キャピタル代表・田中文悟(BIGBOSS)社長。秋田の「阿櫻酒造」、南部杜氏発祥の里として知られる岩手の「紫波酒造店」など、多くの蔵を立て直した実績から"BIGBOSS”の異名を持つ人物。とはいえ、そんな異名のイメージとは違い、田中社長はよく笑い、よくしゃべり、決して怖い人ではありません(笑)むしろ、親しみやすさすら感じます。「失敗を失敗と感じない。だからそもそも失敗なんてないんです。失敗しない味の成功はない」 この言葉に象徴されるように、彼の再生哲学はとても前向き。「魚津の水と風土には、まだまだ可能性がある」と確信し、蔵を引き受ける決意を固めました。 こうして、2023年に本江酒造は魚津酒造へと名を改め、再生蔵への道を歩み始めたのです。 本江酒造時代からの銘柄「北洋」「蜃気楼の見える街」を引き継ぎ、お米本来の旨味と香りを感じられるよう、R4BYより純米蔵へと転身。さらには無濾過生原酒をメインとした特約店限定流通の新ブランド「帆波」を発売。この「帆波」が【令和5酒造年度全国新酒鑑評会】にていきなり入賞を果たしました。また、【SAKE COMPETITION】純米大吟醸部門でも上位入賞を果たすなど、魚津酒造は、事業承継後間もないながらも見事に快進撃を披露しています。 酒蔵再生請負人であるBIGBOSS、魚津酒造の蔵人、そして魚津の地酒を愛する人々の想いがあったからこそのこの復活劇。 魚津酒造は、今後も港町に根を張りながらこれからの100年に向けて大きな一歩を踏み出しているのです。
【島根県出雲市・旭日酒造】神々の街で醸される日本酒「十旭日」。その味わいの秘訣は微生物たちとの...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第27回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた旭日酒造(島根県)をご紹介いたします♪ 旭日酒造(あさひしゅぞう)について 神々の地・出雲で“蔵そのものが醸す味わい”を守り続ける酒蔵——旭日酒造。島根県出雲市の中心部、商店街の一角にひっそりと佇む旭日酒造は、明治初期に創業した歴史ある蔵です。代表銘柄「十旭日(じゅうじあさひ)」と「八千矛(やちほこ)」で知られ、出雲という土地の空気や文化までも封じ込めたような、芯のある日本酒を造り続けています。旭日酒造の始まりは、明治2年(1872年)。当初は「白雪」という名前で酒造りをしていましたが、1907年に当時の東宮(後の大正天皇)が巡幸された折、その酒を「天下一の美酒」と評価し、「旭日」の名を授かったことが転機となり、現在の屋号へと繋がりました。その後は近隣蔵の銘柄であり出雲大社の御神酒「八千矛」も継承し、出雲の地に根差した酒蔵として歩み続けています。蔵の中心にあるのは、大正15年から使われている土壁の仕込み蔵です。外気と呼応しながら微生物が生きているこの空間は、まさに“呼吸する蔵”。旭日酒造は、建物そのもの、そしてそこに棲みついた菌や酵母までも酒造りの仲間として捉えています。とりわけ、生酛(きもと)造りへの強いこだわりが象徴的です。人工の乳酸を使わず、蔵付きの微生物のみで酒母を育てるため、手間も時間もかかりますが、その分だけ米の旨味や酸が生きた豊かな味わいが生まれます。また、旭日酒造では熟成酒にも力を入れており、「搾って終わり」ではなく、酒が最も輝くタイミングを見極めて出荷する姿勢が貫かれています。米づくりや農家との連携にも積極的で、島根県の御幡地区で無農薬栽培された「改良雄町(かいりょうおまち)」を使った生酛酒など、土地の恵みを最大限に引き出した酒を多く生み出しています。旭日酒造の魅力を語るうえで欠かせないのが、副杜氏である寺田栄里子さんの存在です。もともとは家業を継ぐつもりがなかった彼女が、酒と料理のマリアージュ体験を重ねる中で「うちの蔵で造られる酒には、ここにしかない力がある」と気づいたというエピソードがあります。父娘が旅先の食事先で、自社の酒が料理と見事に調和した瞬間を共有し、酒造りの意味を再確認した話は、多くの酒好きの心を打つのではないでしょうか。時代が移り変わっても、蔵に棲む微生物の力を信じ、米と水と時間に向き合い続ける旭日酒造。その一本を口に含めば、きっと出雲という土地と、蔵人たちの情熱がそっと語りかけてくるはずです。出雲の風土を味わえる地酒として、一度口にしていただきたいです。旭日酒造の酒造りは“酒造りの神様”に手を合わせてから一年が始まります。出雲大社のほど近くに佇む佐香(さか)神社は、古来より酒造りと深く結びついてきた特別な場所です。副杜氏の寺田栄里子さんは、毎年蔵人たちと必ずこの神社を訪れ、その年の醸造の安全を祈願してから仕込みに入るのだと話してくれました。寺田さんによれば、佐香神社は“お酒の神様”を祀る数少ない神社のひとつであり、全国でも限られた場所にしか許されていない「どぶろくの醸造」を行える神社としても知られています。毎年10月13日には、神社の中で仕込まれたどぶろくを奉納する祭事が行われ、古式ゆかしい酒造りの文化が今も息づいているそうです。「コロナ禍で以前のように多くの方が気軽にどぶろくを楽しむことは難しくなりましたが、神社で醸されるどぶろくの香りや、神事に込められた願いは変わりません。私たち蔵人にとっても、この神社への参拝は身を引き締め、今年も良いお酒を造ろうと背筋が伸びる、大切な時間なんです。」寺田さんの言葉から、出雲の酒造りが土地の歴史や風土、そして祈りとともに続いてきた営みであることが伝わってきます。佐香神社は、旭日酒造の酒が持つ“出雲らしさ”の源のひとつなのかもしれません。 蔵の看板銘柄は「十旭日(じゅうじあさひ)」。 寺田栄里子さんは、この名前に隠れたちょっとした“読み方の秘密”から話し始めてくれました。 「ラベルに“★"があって続いて”旭日”と書いてあるので、“星旭日(ほしあさひ)ですか?”と言われることが本当に多いんです」と寺田さんは笑います。 実は、ロゴに使われている星のようなマークは“十”をかたどったもの。7代目の当主が能勢の妙見山を篤く信仰しており、「切竹矢筈十字」の紋章を御守りとして大切にしていました。この十字と“旭日”を合わせて「十旭日(じゅうじあさひ)」と読むのが正しい名前。寺田さんによると、「十旭日」は“フルーティーど真ん中”のお酒ではないものの、フレッシュなタイプから熟成酒、生酛(きもと)造りまで、味わいの幅がとても広いのが特徴です。現代的な仕込みと伝統的な手法の両方を採り入れているため、「十旭日」というひとつの銘柄の中に、まるで別世界のような個性の酒がいくつも存在しているのだそうです。「一言で説明するのが難しい銘柄なんです。でも、それも含めて“いろんな十旭日を楽しんでほしい”という気持ちがあります。タイプ違いのお酒を飲むたびに新しい発見がある、そんな蔵でありたいですね。」寺田さんの言葉には、蔵の日本酒が“単なるひとつの銘柄”ではなく、豊かな世界を秘めたものであることが滲んでいます。
【島根県出雲市・旭日酒造】神々の街で醸される日本酒「十旭日」。その味わいの秘訣は微生物たちとの...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第27回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた旭日酒造(島根県)をご紹介いたします♪ 旭日酒造(あさひしゅぞう)について 神々の地・出雲で“蔵そのものが醸す味わい”を守り続ける酒蔵——旭日酒造。島根県出雲市の中心部、商店街の一角にひっそりと佇む旭日酒造は、明治初期に創業した歴史ある蔵です。代表銘柄「十旭日(じゅうじあさひ)」と「八千矛(やちほこ)」で知られ、出雲という土地の空気や文化までも封じ込めたような、芯のある日本酒を造り続けています。旭日酒造の始まりは、明治2年(1872年)。当初は「白雪」という名前で酒造りをしていましたが、1907年に当時の東宮(後の大正天皇)が巡幸された折、その酒を「天下一の美酒」と評価し、「旭日」の名を授かったことが転機となり、現在の屋号へと繋がりました。その後は近隣蔵の銘柄であり出雲大社の御神酒「八千矛」も継承し、出雲の地に根差した酒蔵として歩み続けています。蔵の中心にあるのは、大正15年から使われている土壁の仕込み蔵です。外気と呼応しながら微生物が生きているこの空間は、まさに“呼吸する蔵”。旭日酒造は、建物そのもの、そしてそこに棲みついた菌や酵母までも酒造りの仲間として捉えています。とりわけ、生酛(きもと)造りへの強いこだわりが象徴的です。人工の乳酸を使わず、蔵付きの微生物のみで酒母を育てるため、手間も時間もかかりますが、その分だけ米の旨味や酸が生きた豊かな味わいが生まれます。また、旭日酒造では熟成酒にも力を入れており、「搾って終わり」ではなく、酒が最も輝くタイミングを見極めて出荷する姿勢が貫かれています。米づくりや農家との連携にも積極的で、島根県の御幡地区で無農薬栽培された「改良雄町(かいりょうおまち)」を使った生酛酒など、土地の恵みを最大限に引き出した酒を多く生み出しています。旭日酒造の魅力を語るうえで欠かせないのが、副杜氏である寺田栄里子さんの存在です。もともとは家業を継ぐつもりがなかった彼女が、酒と料理のマリアージュ体験を重ねる中で「うちの蔵で造られる酒には、ここにしかない力がある」と気づいたというエピソードがあります。父娘が旅先の食事先で、自社の酒が料理と見事に調和した瞬間を共有し、酒造りの意味を再確認した話は、多くの酒好きの心を打つのではないでしょうか。時代が移り変わっても、蔵に棲む微生物の力を信じ、米と水と時間に向き合い続ける旭日酒造。その一本を口に含めば、きっと出雲という土地と、蔵人たちの情熱がそっと語りかけてくるはずです。出雲の風土を味わえる地酒として、一度口にしていただきたいです。旭日酒造の酒造りは“酒造りの神様”に手を合わせてから一年が始まります。出雲大社のほど近くに佇む佐香(さか)神社は、古来より酒造りと深く結びついてきた特別な場所です。副杜氏の寺田栄里子さんは、毎年蔵人たちと必ずこの神社を訪れ、その年の醸造の安全を祈願してから仕込みに入るのだと話してくれました。寺田さんによれば、佐香神社は“お酒の神様”を祀る数少ない神社のひとつであり、全国でも限られた場所にしか許されていない「どぶろくの醸造」を行える神社としても知られています。毎年10月13日には、神社の中で仕込まれたどぶろくを奉納する祭事が行われ、古式ゆかしい酒造りの文化が今も息づいているそうです。「コロナ禍で以前のように多くの方が気軽にどぶろくを楽しむことは難しくなりましたが、神社で醸されるどぶろくの香りや、神事に込められた願いは変わりません。私たち蔵人にとっても、この神社への参拝は身を引き締め、今年も良いお酒を造ろうと背筋が伸びる、大切な時間なんです。」寺田さんの言葉から、出雲の酒造りが土地の歴史や風土、そして祈りとともに続いてきた営みであることが伝わってきます。佐香神社は、旭日酒造の酒が持つ“出雲らしさ”の源のひとつなのかもしれません。 蔵の看板銘柄は「十旭日(じゅうじあさひ)」。 寺田栄里子さんは、この名前に隠れたちょっとした“読み方の秘密”から話し始めてくれました。 「ラベルに“★"があって続いて”旭日”と書いてあるので、“星旭日(ほしあさひ)ですか?”と言われることが本当に多いんです」と寺田さんは笑います。 実は、ロゴに使われている星のようなマークは“十”をかたどったもの。7代目の当主が能勢の妙見山を篤く信仰しており、「切竹矢筈十字」の紋章を御守りとして大切にしていました。この十字と“旭日”を合わせて「十旭日(じゅうじあさひ)」と読むのが正しい名前。寺田さんによると、「十旭日」は“フルーティーど真ん中”のお酒ではないものの、フレッシュなタイプから熟成酒、生酛(きもと)造りまで、味わいの幅がとても広いのが特徴です。現代的な仕込みと伝統的な手法の両方を採り入れているため、「十旭日」というひとつの銘柄の中に、まるで別世界のような個性の酒がいくつも存在しているのだそうです。「一言で説明するのが難しい銘柄なんです。でも、それも含めて“いろんな十旭日を楽しんでほしい”という気持ちがあります。タイプ違いのお酒を飲むたびに新しい発見がある、そんな蔵でありたいですね。」寺田さんの言葉には、蔵の日本酒が“単なるひとつの銘柄”ではなく、豊かな世界を秘めたものであることが滲んでいます。
【福岡県北九州市・溝上酒造】北九州を代表する老舗酒蔵が醸す日本酒「天心」を飲み比べ!~オンライ...
溝上酒造(みぞかみしゅぞう)について 北九州の”日本酒の防人(さきもり)”とも言える存在。それが溝上酒造です。 弘化元年(1844年)に大分・中津の地で創業。天空に舞う鶴を吉兆とし、「鶴天心」を銘柄としていました。のちに1931年(昭和6年)に北九州市・皿倉山麓で清らかな湧き水を発見して蔵を移転。以降、銘柄を「天心」と改め現在に至り、北九州では唯一に近い規模の日本酒蔵として醸造を続けています。 豊かな自然環境に囲まれ、北九州市民にとっては「地元の酒」として長年親しまれてきた溝上酒造が大切にしているのは、派手な技術でも流行の香りでもありません。彼らが代々受け継いできた理念―― 「基本に忠実に、誠実な心で酒造りに向き合う」 という、極めてシンプルでありながら一番難しい姿勢です。 蔵の規模自体は大手と比べれば決して大きくはありません。しかしその分、ひとつひとつの工程にしっかり目が行き届き、丁寧な手造りをしていることが一番の特徴です。蔵元の溝上家が代々受け継いできた「誠実な酒造り」という姿勢は、地域から強い支持を受けています。 「日本酒の味を決めるのは、最後は“人”である。」 現在、8代目蔵元を務める「溝上智彦」社長は語ります。 どれほど良質な米を選び、名水を求め、最適な環境を整えたとしても、最終的に一杯の味わいを形づくるのは造り手の判断と感性。それは洗米から蒸米、麹づくり、発酵管理のどれを取っても妥協しない姿勢として現れています。 「地元愛、職人技、歴史」。この三つが調和した蔵であり、北九州の酒文化の象徴的存在ともいえるでしょう。 代表銘柄は「天心」(てんしん)。控えめな香りと食事に寄り添う味わいを中心に、日常酒から贈答向けまで幅広いラインナップを展開しています。ラベル色の違いで「赤天心・黒天心」などの通称で呼ばれるファンもいるようです。 この「天心」の文字は、宝酒造の本格焼酎「よかいち」の文字を書いたことで知られる、かの有名な書道家「榊莫山(さかきばぐざん)」氏によるもの。溝上酒造が意図して莫山氏に依頼したものではなく、たまたまお願いした印刷会社に無名だった頃の莫山氏が在籍しており、筆を執ったとのことです。これもまた不思議な縁が呼び寄せた幸運。天心のラベルの背景にある”幸運の連鎖”もまた天心の魅力を支えていると言えるでしょう。 また、この蔵が特に重視しているのは“食中酒”としてのバランス。香りが華やかな酒が増えてきた現代においても、溝上酒造は「食事とともにあって完成する味わい」を何よりも大切にしています。その誠実さが生み出す味わいは、決して主張しすぎず、しかし確かな旨味と透明感を備えています。 そして目指すゴールはただひとつ。“食事とともにあってこそ輝く、究極の食中酒” ”米と水と技術、そのすべてを丁寧に積み重ねながら、最後に「造り手の心」が味を完成させる――。 溝上酒造の一杯には、その哲学が静かに息づいています。
【福岡県北九州市・溝上酒造】北九州を代表する老舗酒蔵が醸す日本酒「天心」を飲み比べ!~オンライ...
溝上酒造(みぞかみしゅぞう)について 北九州の”日本酒の防人(さきもり)”とも言える存在。それが溝上酒造です。 弘化元年(1844年)に大分・中津の地で創業。天空に舞う鶴を吉兆とし、「鶴天心」を銘柄としていました。のちに1931年(昭和6年)に北九州市・皿倉山麓で清らかな湧き水を発見して蔵を移転。以降、銘柄を「天心」と改め現在に至り、北九州では唯一に近い規模の日本酒蔵として醸造を続けています。 豊かな自然環境に囲まれ、北九州市民にとっては「地元の酒」として長年親しまれてきた溝上酒造が大切にしているのは、派手な技術でも流行の香りでもありません。彼らが代々受け継いできた理念―― 「基本に忠実に、誠実な心で酒造りに向き合う」 という、極めてシンプルでありながら一番難しい姿勢です。 蔵の規模自体は大手と比べれば決して大きくはありません。しかしその分、ひとつひとつの工程にしっかり目が行き届き、丁寧な手造りをしていることが一番の特徴です。蔵元の溝上家が代々受け継いできた「誠実な酒造り」という姿勢は、地域から強い支持を受けています。 「日本酒の味を決めるのは、最後は“人”である。」 現在、8代目蔵元を務める「溝上智彦」社長は語ります。 どれほど良質な米を選び、名水を求め、最適な環境を整えたとしても、最終的に一杯の味わいを形づくるのは造り手の判断と感性。それは洗米から蒸米、麹づくり、発酵管理のどれを取っても妥協しない姿勢として現れています。 「地元愛、職人技、歴史」。この三つが調和した蔵であり、北九州の酒文化の象徴的存在ともいえるでしょう。 代表銘柄は「天心」(てんしん)。控えめな香りと食事に寄り添う味わいを中心に、日常酒から贈答向けまで幅広いラインナップを展開しています。ラベル色の違いで「赤天心・黒天心」などの通称で呼ばれるファンもいるようです。 この「天心」の文字は、宝酒造の本格焼酎「よかいち」の文字を書いたことで知られる、かの有名な書道家「榊莫山(さかきばぐざん)」氏によるもの。溝上酒造が意図して莫山氏に依頼したものではなく、たまたまお願いした印刷会社に無名だった頃の莫山氏が在籍しており、筆を執ったとのことです。これもまた不思議な縁が呼び寄せた幸運。天心のラベルの背景にある”幸運の連鎖”もまた天心の魅力を支えていると言えるでしょう。 また、この蔵が特に重視しているのは“食中酒”としてのバランス。香りが華やかな酒が増えてきた現代においても、溝上酒造は「食事とともにあって完成する味わい」を何よりも大切にしています。その誠実さが生み出す味わいは、決して主張しすぎず、しかし確かな旨味と透明感を備えています。 そして目指すゴールはただひとつ。“食事とともにあってこそ輝く、究極の食中酒” ”米と水と技術、そのすべてを丁寧に積み重ねながら、最後に「造り手の心」が味を完成させる――。 溝上酒造の一杯には、その哲学が静かに息づいています。