オンライン酒蔵留学 レポート記事
【富山県魚津市・魚津酒造】海に生きる人々から愛され続けてきた日本酒「北洋」!再生蔵から次の10...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第26回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた魚津酒造(富山県)をご紹介いたします♪ 魚津酒造(うおづしゅぞう)について 日本海と山岳地帯が近い“富山らしい地形”の港町、富山県魚津市。夏には港に浮かぶ蜃気楼。海底には2000年前の杉林が噴火や洪水で海底に沈んでそのまま保存されているというとても希少な天然記念物「埋没林」。海の幸ではホタルイカが獲れるなど様々な表情を1年を通して見せてくれます。 そんなバラエティ豊かな気候風土を持った北陸の大地に「魚津酒造」は蔵を構えます。魚津酒造は2023年に生まれ変わったばかりですが、蔵の歴史は約100年。1926年(大正15年)創業の「本江酒造」を前身とし、長い間「北洋」の銘柄で地元に愛されてきました。 「北洋」の由来は、地元魚津港が鮭鱒船団で賑わう北洋漁業の船団基地であったため、その隆盛に肖ってと命名したと伝えられており、一貫して海の人々に寄り添う酒造りが行われてきたのです。 北陸特有のコントラストに富んだ気候の魚津ですが、特に冬の寒さは酒造りには理想的な環境であり、雑菌の活動が抑えられ、低温発酵を安定して行うことができます。もちろん、仕込み作業を行う蔵人にとっては大変厳しい冬ですが、日本酒にとっては“最高の季節”。その他、立山山麓水系の豊富な伏流水、兵庫県産の山田錦、富山県初の自主開発酒米雄山錦をもとに、本江酒造は、銘柄の由来に恥じない海の幸に合う酒を造り続けてきました。しかし、そんな日本酒造りに最適な土地柄でありながら、近年、設備老朽化や後継者不在が深刻化し、酒造りの継続が危ぶまれる状態に陥りました。「もう地元の酒は飲めなくなるのか...」という声も出始めていた頃のこと。その"土地の自然が持つポテンシャルを無くしてはいけない"という強い想いを持ったある一人の男に白羽の矢が立ちます。その人物とは、酒蔵再生のプロフェッショナル――日本酒キャピタル代表・田中文悟(BIGBOSS)社長。秋田の「阿櫻酒造」、南部杜氏発祥の里として知られる岩手の「紫波酒造店」など、多くの蔵を立て直した実績から"BIGBOSS”の異名を持つ人物。とはいえ、そんな異名のイメージとは違い、田中社長はよく笑い、よくしゃべり、決して怖い人ではありません(笑)むしろ、親しみやすさすら感じます。「失敗を失敗と感じない。だからそもそも失敗なんてないんです。失敗しない味の成功はない」 この言葉に象徴されるように、彼の再生哲学はとても前向き。「魚津の水と風土には、まだまだ可能性がある」と確信し、蔵を引き受ける決意を固めました。 こうして、2023年に本江酒造は魚津酒造へと名を改め、再生蔵への道を歩み始めたのです。 本江酒造時代からの銘柄「北洋」「蜃気楼の見える街」を引き継ぎ、お米本来の旨味と香りを感じられるよう、R4BYより純米蔵へと転身。さらには無濾過生原酒をメインとした特約店限定流通の新ブランド「帆波」を発売。この「帆波」が【令和5酒造年度全国新酒鑑評会】にていきなり入賞を果たしました。また、【SAKE COMPETITION】純米大吟醸部門でも上位入賞を果たすなど、魚津酒造は、事業承継後間もないながらも見事に快進撃を披露しています。 酒蔵再生請負人であるBIGBOSS、魚津酒造の蔵人、そして魚津の地酒を愛する人々の想いがあったからこそのこの復活劇。 魚津酒造は、今後も港町に根を張りながらこれからの100年に向けて大きな一歩を踏み出しているのです。
【富山県魚津市・魚津酒造】海に生きる人々から愛され続けてきた日本酒「北洋」!再生蔵から次の10...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第26回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた魚津酒造(富山県)をご紹介いたします♪ 魚津酒造(うおづしゅぞう)について 日本海と山岳地帯が近い“富山らしい地形”の港町、富山県魚津市。夏には港に浮かぶ蜃気楼。海底には2000年前の杉林が噴火や洪水で海底に沈んでそのまま保存されているというとても希少な天然記念物「埋没林」。海の幸ではホタルイカが獲れるなど様々な表情を1年を通して見せてくれます。 そんなバラエティ豊かな気候風土を持った北陸の大地に「魚津酒造」は蔵を構えます。魚津酒造は2023年に生まれ変わったばかりですが、蔵の歴史は約100年。1926年(大正15年)創業の「本江酒造」を前身とし、長い間「北洋」の銘柄で地元に愛されてきました。 「北洋」の由来は、地元魚津港が鮭鱒船団で賑わう北洋漁業の船団基地であったため、その隆盛に肖ってと命名したと伝えられており、一貫して海の人々に寄り添う酒造りが行われてきたのです。 北陸特有のコントラストに富んだ気候の魚津ですが、特に冬の寒さは酒造りには理想的な環境であり、雑菌の活動が抑えられ、低温発酵を安定して行うことができます。もちろん、仕込み作業を行う蔵人にとっては大変厳しい冬ですが、日本酒にとっては“最高の季節”。その他、立山山麓水系の豊富な伏流水、兵庫県産の山田錦、富山県初の自主開発酒米雄山錦をもとに、本江酒造は、銘柄の由来に恥じない海の幸に合う酒を造り続けてきました。しかし、そんな日本酒造りに最適な土地柄でありながら、近年、設備老朽化や後継者不在が深刻化し、酒造りの継続が危ぶまれる状態に陥りました。「もう地元の酒は飲めなくなるのか...」という声も出始めていた頃のこと。その"土地の自然が持つポテンシャルを無くしてはいけない"という強い想いを持ったある一人の男に白羽の矢が立ちます。その人物とは、酒蔵再生のプロフェッショナル――日本酒キャピタル代表・田中文悟(BIGBOSS)社長。秋田の「阿櫻酒造」、南部杜氏発祥の里として知られる岩手の「紫波酒造店」など、多くの蔵を立て直した実績から"BIGBOSS”の異名を持つ人物。とはいえ、そんな異名のイメージとは違い、田中社長はよく笑い、よくしゃべり、決して怖い人ではありません(笑)むしろ、親しみやすさすら感じます。「失敗を失敗と感じない。だからそもそも失敗なんてないんです。失敗しない味の成功はない」 この言葉に象徴されるように、彼の再生哲学はとても前向き。「魚津の水と風土には、まだまだ可能性がある」と確信し、蔵を引き受ける決意を固めました。 こうして、2023年に本江酒造は魚津酒造へと名を改め、再生蔵への道を歩み始めたのです。 本江酒造時代からの銘柄「北洋」「蜃気楼の見える街」を引き継ぎ、お米本来の旨味と香りを感じられるよう、R4BYより純米蔵へと転身。さらには無濾過生原酒をメインとした特約店限定流通の新ブランド「帆波」を発売。この「帆波」が【令和5酒造年度全国新酒鑑評会】にていきなり入賞を果たしました。また、【SAKE COMPETITION】純米大吟醸部門でも上位入賞を果たすなど、魚津酒造は、事業承継後間もないながらも見事に快進撃を披露しています。 酒蔵再生請負人であるBIGBOSS、魚津酒造の蔵人、そして魚津の地酒を愛する人々の想いがあったからこそのこの復活劇。 魚津酒造は、今後も港町に根を張りながらこれからの100年に向けて大きな一歩を踏み出しているのです。
【島根県出雲市・旭日酒造】神々の街で醸される日本酒「十旭日」。その味わいの秘訣は微生物たちとの...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第27回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた旭日酒造(島根県)をご紹介いたします♪ 旭日酒造(あさひしゅぞう)について 神々の地・出雲で“蔵そのものが醸す味わい”を守り続ける酒蔵——旭日酒造。島根県出雲市の中心部、商店街の一角にひっそりと佇む旭日酒造は、明治初期に創業した歴史ある蔵です。代表銘柄「十旭日(じゅうじあさひ)」と「八千矛(やちほこ)」で知られ、出雲という土地の空気や文化までも封じ込めたような、芯のある日本酒を造り続けています。旭日酒造の始まりは、明治2年(1872年)。当初は「白雪」という名前で酒造りをしていましたが、1907年に当時の東宮(後の大正天皇)が巡幸された折、その酒を「天下一の美酒」と評価し、「旭日」の名を授かったことが転機となり、現在の屋号へと繋がりました。その後は近隣蔵の銘柄であり出雲大社の御神酒「八千矛」も継承し、出雲の地に根差した酒蔵として歩み続けています。蔵の中心にあるのは、大正15年から使われている土壁の仕込み蔵です。外気と呼応しながら微生物が生きているこの空間は、まさに“呼吸する蔵”。旭日酒造は、建物そのもの、そしてそこに棲みついた菌や酵母までも酒造りの仲間として捉えています。とりわけ、生酛(きもと)造りへの強いこだわりが象徴的です。人工の乳酸を使わず、蔵付きの微生物のみで酒母を育てるため、手間も時間もかかりますが、その分だけ米の旨味や酸が生きた豊かな味わいが生まれます。また、旭日酒造では熟成酒にも力を入れており、「搾って終わり」ではなく、酒が最も輝くタイミングを見極めて出荷する姿勢が貫かれています。米づくりや農家との連携にも積極的で、島根県の御幡地区で無農薬栽培された「改良雄町(かいりょうおまち)」を使った生酛酒など、土地の恵みを最大限に引き出した酒を多く生み出しています。旭日酒造の魅力を語るうえで欠かせないのが、副杜氏である寺田栄里子さんの存在です。もともとは家業を継ぐつもりがなかった彼女が、酒と料理のマリアージュ体験を重ねる中で「うちの蔵で造られる酒には、ここにしかない力がある」と気づいたというエピソードがあります。父娘が旅先の食事先で、自社の酒が料理と見事に調和した瞬間を共有し、酒造りの意味を再確認した話は、多くの酒好きの心を打つのではないでしょうか。時代が移り変わっても、蔵に棲む微生物の力を信じ、米と水と時間に向き合い続ける旭日酒造。その一本を口に含めば、きっと出雲という土地と、蔵人たちの情熱がそっと語りかけてくるはずです。出雲の風土を味わえる地酒として、一度口にしていただきたいです。旭日酒造の酒造りは“酒造りの神様”に手を合わせてから一年が始まります。出雲大社のほど近くに佇む佐香(さか)神社は、古来より酒造りと深く結びついてきた特別な場所です。副杜氏の寺田栄里子さんは、毎年蔵人たちと必ずこの神社を訪れ、その年の醸造の安全を祈願してから仕込みに入るのだと話してくれました。寺田さんによれば、佐香神社は“お酒の神様”を祀る数少ない神社のひとつであり、全国でも限られた場所にしか許されていない「どぶろくの醸造」を行える神社としても知られています。毎年10月13日には、神社の中で仕込まれたどぶろくを奉納する祭事が行われ、古式ゆかしい酒造りの文化が今も息づいているそうです。「コロナ禍で以前のように多くの方が気軽にどぶろくを楽しむことは難しくなりましたが、神社で醸されるどぶろくの香りや、神事に込められた願いは変わりません。私たち蔵人にとっても、この神社への参拝は身を引き締め、今年も良いお酒を造ろうと背筋が伸びる、大切な時間なんです。」寺田さんの言葉から、出雲の酒造りが土地の歴史や風土、そして祈りとともに続いてきた営みであることが伝わってきます。佐香神社は、旭日酒造の酒が持つ“出雲らしさ”の源のひとつなのかもしれません。 蔵の看板銘柄は「十旭日(じゅうじあさひ)」。 寺田栄里子さんは、この名前に隠れたちょっとした“読み方の秘密”から話し始めてくれました。 「ラベルに“★"があって続いて”旭日”と書いてあるので、“星旭日(ほしあさひ)ですか?”と言われることが本当に多いんです」と寺田さんは笑います。 実は、ロゴに使われている星のようなマークは“十”をかたどったもの。7代目の当主が能勢の妙見山を篤く信仰しており、「切竹矢筈十字」の紋章を御守りとして大切にしていました。この十字と“旭日”を合わせて「十旭日(じゅうじあさひ)」と読むのが正しい名前。寺田さんによると、「十旭日」は“フルーティーど真ん中”のお酒ではないものの、フレッシュなタイプから熟成酒、生酛(きもと)造りまで、味わいの幅がとても広いのが特徴です。現代的な仕込みと伝統的な手法の両方を採り入れているため、「十旭日」というひとつの銘柄の中に、まるで別世界のような個性の酒がいくつも存在しているのだそうです。「一言で説明するのが難しい銘柄なんです。でも、それも含めて“いろんな十旭日を楽しんでほしい”という気持ちがあります。タイプ違いのお酒を飲むたびに新しい発見がある、そんな蔵でありたいですね。」寺田さんの言葉には、蔵の日本酒が“単なるひとつの銘柄”ではなく、豊かな世界を秘めたものであることが滲んでいます。
【島根県出雲市・旭日酒造】神々の街で醸される日本酒「十旭日」。その味わいの秘訣は微生物たちとの...
オンライン酒蔵留学レポート オンライン酒蔵留学は、おうちにいながら地方のお酒の作り手さんとダイレクトにつながって、一緒に乾杯できる日本酒通販サービスです。作り手さんの想いや人柄も味わうことができ、日本酒を通して「人生の学び」や「新たなつながり」、そして「推し蔵」が生まれる場となります。 本記事では、これまでオンライン酒蔵留学にご出演していただいた酒蔵さんをご紹介!この記事を通して、酒蔵さんの想いやこだわりについて是非触れてみてください♪ 今回は、第27回オンライン酒蔵留学にご出演いただいた旭日酒造(島根県)をご紹介いたします♪ 旭日酒造(あさひしゅぞう)について 神々の地・出雲で“蔵そのものが醸す味わい”を守り続ける酒蔵——旭日酒造。島根県出雲市の中心部、商店街の一角にひっそりと佇む旭日酒造は、明治初期に創業した歴史ある蔵です。代表銘柄「十旭日(じゅうじあさひ)」と「八千矛(やちほこ)」で知られ、出雲という土地の空気や文化までも封じ込めたような、芯のある日本酒を造り続けています。旭日酒造の始まりは、明治2年(1872年)。当初は「白雪」という名前で酒造りをしていましたが、1907年に当時の東宮(後の大正天皇)が巡幸された折、その酒を「天下一の美酒」と評価し、「旭日」の名を授かったことが転機となり、現在の屋号へと繋がりました。その後は近隣蔵の銘柄であり出雲大社の御神酒「八千矛」も継承し、出雲の地に根差した酒蔵として歩み続けています。蔵の中心にあるのは、大正15年から使われている土壁の仕込み蔵です。外気と呼応しながら微生物が生きているこの空間は、まさに“呼吸する蔵”。旭日酒造は、建物そのもの、そしてそこに棲みついた菌や酵母までも酒造りの仲間として捉えています。とりわけ、生酛(きもと)造りへの強いこだわりが象徴的です。人工の乳酸を使わず、蔵付きの微生物のみで酒母を育てるため、手間も時間もかかりますが、その分だけ米の旨味や酸が生きた豊かな味わいが生まれます。また、旭日酒造では熟成酒にも力を入れており、「搾って終わり」ではなく、酒が最も輝くタイミングを見極めて出荷する姿勢が貫かれています。米づくりや農家との連携にも積極的で、島根県の御幡地区で無農薬栽培された「改良雄町(かいりょうおまち)」を使った生酛酒など、土地の恵みを最大限に引き出した酒を多く生み出しています。旭日酒造の魅力を語るうえで欠かせないのが、副杜氏である寺田栄里子さんの存在です。もともとは家業を継ぐつもりがなかった彼女が、酒と料理のマリアージュ体験を重ねる中で「うちの蔵で造られる酒には、ここにしかない力がある」と気づいたというエピソードがあります。父娘が旅先の食事先で、自社の酒が料理と見事に調和した瞬間を共有し、酒造りの意味を再確認した話は、多くの酒好きの心を打つのではないでしょうか。時代が移り変わっても、蔵に棲む微生物の力を信じ、米と水と時間に向き合い続ける旭日酒造。その一本を口に含めば、きっと出雲という土地と、蔵人たちの情熱がそっと語りかけてくるはずです。出雲の風土を味わえる地酒として、一度口にしていただきたいです。旭日酒造の酒造りは“酒造りの神様”に手を合わせてから一年が始まります。出雲大社のほど近くに佇む佐香(さか)神社は、古来より酒造りと深く結びついてきた特別な場所です。副杜氏の寺田栄里子さんは、毎年蔵人たちと必ずこの神社を訪れ、その年の醸造の安全を祈願してから仕込みに入るのだと話してくれました。寺田さんによれば、佐香神社は“お酒の神様”を祀る数少ない神社のひとつであり、全国でも限られた場所にしか許されていない「どぶろくの醸造」を行える神社としても知られています。毎年10月13日には、神社の中で仕込まれたどぶろくを奉納する祭事が行われ、古式ゆかしい酒造りの文化が今も息づいているそうです。「コロナ禍で以前のように多くの方が気軽にどぶろくを楽しむことは難しくなりましたが、神社で醸されるどぶろくの香りや、神事に込められた願いは変わりません。私たち蔵人にとっても、この神社への参拝は身を引き締め、今年も良いお酒を造ろうと背筋が伸びる、大切な時間なんです。」寺田さんの言葉から、出雲の酒造りが土地の歴史や風土、そして祈りとともに続いてきた営みであることが伝わってきます。佐香神社は、旭日酒造の酒が持つ“出雲らしさ”の源のひとつなのかもしれません。 蔵の看板銘柄は「十旭日(じゅうじあさひ)」。 寺田栄里子さんは、この名前に隠れたちょっとした“読み方の秘密”から話し始めてくれました。 「ラベルに“★"があって続いて”旭日”と書いてあるので、“星旭日(ほしあさひ)ですか?”と言われることが本当に多いんです」と寺田さんは笑います。 実は、ロゴに使われている星のようなマークは“十”をかたどったもの。7代目の当主が能勢の妙見山を篤く信仰しており、「切竹矢筈十字」の紋章を御守りとして大切にしていました。この十字と“旭日”を合わせて「十旭日(じゅうじあさひ)」と読むのが正しい名前。寺田さんによると、「十旭日」は“フルーティーど真ん中”のお酒ではないものの、フレッシュなタイプから熟成酒、生酛(きもと)造りまで、味わいの幅がとても広いのが特徴です。現代的な仕込みと伝統的な手法の両方を採り入れているため、「十旭日」というひとつの銘柄の中に、まるで別世界のような個性の酒がいくつも存在しているのだそうです。「一言で説明するのが難しい銘柄なんです。でも、それも含めて“いろんな十旭日を楽しんでほしい”という気持ちがあります。タイプ違いのお酒を飲むたびに新しい発見がある、そんな蔵でありたいですね。」寺田さんの言葉には、蔵の日本酒が“単なるひとつの銘柄”ではなく、豊かな世界を秘めたものであることが滲んでいます。
【福岡県北九州市・溝上酒造】北九州を代表する老舗酒蔵が醸す日本酒「天心」を飲み比べ!~オンライ...
溝上酒造(みぞかみしゅぞう)について 北九州の”日本酒の防人(さきもり)”とも言える存在。それが溝上酒造です。 弘化元年(1844年)に大分・中津の地で創業。天空に舞う鶴を吉兆とし、「鶴天心」を銘柄としていました。のちに1931年(昭和6年)に北九州市・皿倉山麓で清らかな湧き水を発見して蔵を移転。以降、銘柄を「天心」と改め現在に至り、北九州では唯一に近い規模の日本酒蔵として醸造を続けています。 豊かな自然環境に囲まれ、北九州市民にとっては「地元の酒」として長年親しまれてきた溝上酒造が大切にしているのは、派手な技術でも流行の香りでもありません。彼らが代々受け継いできた理念―― 「基本に忠実に、誠実な心で酒造りに向き合う」 という、極めてシンプルでありながら一番難しい姿勢です。 蔵の規模自体は大手と比べれば決して大きくはありません。しかしその分、ひとつひとつの工程にしっかり目が行き届き、丁寧な手造りをしていることが一番の特徴です。蔵元の溝上家が代々受け継いできた「誠実な酒造り」という姿勢は、地域から強い支持を受けています。 「日本酒の味を決めるのは、最後は“人”である。」 現在、8代目蔵元を務める「溝上智彦」社長は語ります。 どれほど良質な米を選び、名水を求め、最適な環境を整えたとしても、最終的に一杯の味わいを形づくるのは造り手の判断と感性。それは洗米から蒸米、麹づくり、発酵管理のどれを取っても妥協しない姿勢として現れています。 「地元愛、職人技、歴史」。この三つが調和した蔵であり、北九州の酒文化の象徴的存在ともいえるでしょう。 代表銘柄は「天心」(てんしん)。控えめな香りと食事に寄り添う味わいを中心に、日常酒から贈答向けまで幅広いラインナップを展開しています。ラベル色の違いで「赤天心・黒天心」などの通称で呼ばれるファンもいるようです。 この「天心」の文字は、宝酒造の本格焼酎「よかいち」の文字を書いたことで知られる、かの有名な書道家「榊莫山(さかきばぐざん)」氏によるもの。溝上酒造が意図して莫山氏に依頼したものではなく、たまたまお願いした印刷会社に無名だった頃の莫山氏が在籍しており、筆を執ったとのことです。これもまた不思議な縁が呼び寄せた幸運。天心のラベルの背景にある”幸運の連鎖”もまた天心の魅力を支えていると言えるでしょう。 また、この蔵が特に重視しているのは“食中酒”としてのバランス。香りが華やかな酒が増えてきた現代においても、溝上酒造は「食事とともにあって完成する味わい」を何よりも大切にしています。その誠実さが生み出す味わいは、決して主張しすぎず、しかし確かな旨味と透明感を備えています。 そして目指すゴールはただひとつ。“食事とともにあってこそ輝く、究極の食中酒” ”米と水と技術、そのすべてを丁寧に積み重ねながら、最後に「造り手の心」が味を完成させる――。 溝上酒造の一杯には、その哲学が静かに息づいています。
【福岡県北九州市・溝上酒造】北九州を代表する老舗酒蔵が醸す日本酒「天心」を飲み比べ!~オンライ...
溝上酒造(みぞかみしゅぞう)について 北九州の”日本酒の防人(さきもり)”とも言える存在。それが溝上酒造です。 弘化元年(1844年)に大分・中津の地で創業。天空に舞う鶴を吉兆とし、「鶴天心」を銘柄としていました。のちに1931年(昭和6年)に北九州市・皿倉山麓で清らかな湧き水を発見して蔵を移転。以降、銘柄を「天心」と改め現在に至り、北九州では唯一に近い規模の日本酒蔵として醸造を続けています。 豊かな自然環境に囲まれ、北九州市民にとっては「地元の酒」として長年親しまれてきた溝上酒造が大切にしているのは、派手な技術でも流行の香りでもありません。彼らが代々受け継いできた理念―― 「基本に忠実に、誠実な心で酒造りに向き合う」 という、極めてシンプルでありながら一番難しい姿勢です。 蔵の規模自体は大手と比べれば決して大きくはありません。しかしその分、ひとつひとつの工程にしっかり目が行き届き、丁寧な手造りをしていることが一番の特徴です。蔵元の溝上家が代々受け継いできた「誠実な酒造り」という姿勢は、地域から強い支持を受けています。 「日本酒の味を決めるのは、最後は“人”である。」 現在、8代目蔵元を務める「溝上智彦」社長は語ります。 どれほど良質な米を選び、名水を求め、最適な環境を整えたとしても、最終的に一杯の味わいを形づくるのは造り手の判断と感性。それは洗米から蒸米、麹づくり、発酵管理のどれを取っても妥協しない姿勢として現れています。 「地元愛、職人技、歴史」。この三つが調和した蔵であり、北九州の酒文化の象徴的存在ともいえるでしょう。 代表銘柄は「天心」(てんしん)。控えめな香りと食事に寄り添う味わいを中心に、日常酒から贈答向けまで幅広いラインナップを展開しています。ラベル色の違いで「赤天心・黒天心」などの通称で呼ばれるファンもいるようです。 この「天心」の文字は、宝酒造の本格焼酎「よかいち」の文字を書いたことで知られる、かの有名な書道家「榊莫山(さかきばぐざん)」氏によるもの。溝上酒造が意図して莫山氏に依頼したものではなく、たまたまお願いした印刷会社に無名だった頃の莫山氏が在籍しており、筆を執ったとのことです。これもまた不思議な縁が呼び寄せた幸運。天心のラベルの背景にある”幸運の連鎖”もまた天心の魅力を支えていると言えるでしょう。 また、この蔵が特に重視しているのは“食中酒”としてのバランス。香りが華やかな酒が増えてきた現代においても、溝上酒造は「食事とともにあって完成する味わい」を何よりも大切にしています。その誠実さが生み出す味わいは、決して主張しすぎず、しかし確かな旨味と透明感を備えています。 そして目指すゴールはただひとつ。“食事とともにあってこそ輝く、究極の食中酒” ”米と水と技術、そのすべてを丁寧に積み重ねながら、最後に「造り手の心」が味を完成させる――。 溝上酒造の一杯には、その哲学が静かに息づいています。
【長崎県平戸市・福田酒造】日本最西端の酒蔵が贈る"海"の日本酒「福海」で笑顔と心が繋がる!~オ...
福田酒造(ふくだしゅぞう)について 長崎県平戸の南端。霊峰志々伎山を望み、潮の香り漂う志々伎湾のほとりに、 三百年以上の時を超えて酒を醸し続ける蔵――福田酒造があります。 その歴史は、今からおよそ三百三十余年前、元禄元年(1688年)にまで遡ります。 創業者の福田長治兵衛門(ふくだちょうえもん)は、もともと平戸で捕鯨なども行っていた網元でした。海の恵みとともに生きてきた彼は、平戸藩主より酒造りの許可を受け、御用酒屋として福田酒造を創業します。 長治兵衛門は、「酒造りは、心でつくり、風が育てる」という言葉を残しました。この信念は、時を経た今も変わることなく、蔵の礎として息づいています。自然の声に耳を傾け、人の手で丁寧に醸し、風土に育まれる酒を造る。それが、福田酒造の原点であり、十五代にわたって長く受け継がれてきた魂なのです。 現在、蔵を支えているのは十五代目当主・福田竜也さんと弟の信治さん。兄弟は、先人の想いを胸に、伝統を守りながらも新たな挑戦を続けています。 弟の信治さんは、網元の血を引く釣り人としても知られています。自ら船を操り、ヒラマサ、クエに似た希少な「イシナギ」、そして平戸を象徴する大きなヒラメを釣り上げる腕前の持ち主です。その姿は、まさに海とともに生きる平戸の精神と元網元のDNAを引き継いでいます。豊かな漁場に育まれたこの地で生まれる酒は、新鮮な魚介や海の幸と抜群の相性を誇ります!海を知り、風を感じ、自然とともに生きる。 福田酒造の三百年の歴史が生み出した、唯一無二の味わいがここにあります。 蔵の背後にそびえるのは、平戸南部の霊峰・志々伎山(しじきさん)。 古くから海人(あま)たちの信仰を集め、航海の目印として、また風を遮る守り神として崇められてきました。その神聖な山を祀る志々伎神社では、古代から続くヤマド祭りが今も息づき、「海=俗界」「山=神界」として海人の信仰文化を現代に伝えています。 そして志々伎山を包む志々伎湾は、日本海と東シナ海の潮が出会う場所です。寒流と暖流が交わることで、鯛やヒラメ、イカ、鮑など、多彩な魚介が育まれます。磯の香り漂うこの豊かな自然こそが、福田酒造の酒を支える“もう一人の偉大な杜氏”とも言えるでしょう。 地理的にも平戸島南部は、古くから海外との交流の玄関口でした。遣隋使や遣唐使の寄港地として、そして後にはオランダ商館が置かれた自由な港町として栄えました。海風とともに新しい文化や技術がもたらされ、人々の暮らしに独自の活気をもたらしたのです。 そんな風土の中で育まれた福田酒造の酒には、異国文化に触れながらも、土地の恵みと伝統を大切にしてきた平戸の精神が息づいています。志々伎の海と山、そして人々の暮らしが織りなすこの地で、福田酒造はこれからも「心でつくり、風が育てる」酒を醸し続けます。 日本の古(いにしえ)の世界と原風景が脈々と息づく志々伎の美しさを、一本の酒に込めて。
【長崎県平戸市・福田酒造】日本最西端の酒蔵が贈る"海"の日本酒「福海」で笑顔と心が繋がる!~オ...
福田酒造(ふくだしゅぞう)について 長崎県平戸の南端。霊峰志々伎山を望み、潮の香り漂う志々伎湾のほとりに、 三百年以上の時を超えて酒を醸し続ける蔵――福田酒造があります。 その歴史は、今からおよそ三百三十余年前、元禄元年(1688年)にまで遡ります。 創業者の福田長治兵衛門(ふくだちょうえもん)は、もともと平戸で捕鯨なども行っていた網元でした。海の恵みとともに生きてきた彼は、平戸藩主より酒造りの許可を受け、御用酒屋として福田酒造を創業します。 長治兵衛門は、「酒造りは、心でつくり、風が育てる」という言葉を残しました。この信念は、時を経た今も変わることなく、蔵の礎として息づいています。自然の声に耳を傾け、人の手で丁寧に醸し、風土に育まれる酒を造る。それが、福田酒造の原点であり、十五代にわたって長く受け継がれてきた魂なのです。 現在、蔵を支えているのは十五代目当主・福田竜也さんと弟の信治さん。兄弟は、先人の想いを胸に、伝統を守りながらも新たな挑戦を続けています。 弟の信治さんは、網元の血を引く釣り人としても知られています。自ら船を操り、ヒラマサ、クエに似た希少な「イシナギ」、そして平戸を象徴する大きなヒラメを釣り上げる腕前の持ち主です。その姿は、まさに海とともに生きる平戸の精神と元網元のDNAを引き継いでいます。豊かな漁場に育まれたこの地で生まれる酒は、新鮮な魚介や海の幸と抜群の相性を誇ります!海を知り、風を感じ、自然とともに生きる。 福田酒造の三百年の歴史が生み出した、唯一無二の味わいがここにあります。 蔵の背後にそびえるのは、平戸南部の霊峰・志々伎山(しじきさん)。 古くから海人(あま)たちの信仰を集め、航海の目印として、また風を遮る守り神として崇められてきました。その神聖な山を祀る志々伎神社では、古代から続くヤマド祭りが今も息づき、「海=俗界」「山=神界」として海人の信仰文化を現代に伝えています。 そして志々伎山を包む志々伎湾は、日本海と東シナ海の潮が出会う場所です。寒流と暖流が交わることで、鯛やヒラメ、イカ、鮑など、多彩な魚介が育まれます。磯の香り漂うこの豊かな自然こそが、福田酒造の酒を支える“もう一人の偉大な杜氏”とも言えるでしょう。 地理的にも平戸島南部は、古くから海外との交流の玄関口でした。遣隋使や遣唐使の寄港地として、そして後にはオランダ商館が置かれた自由な港町として栄えました。海風とともに新しい文化や技術がもたらされ、人々の暮らしに独自の活気をもたらしたのです。 そんな風土の中で育まれた福田酒造の酒には、異国文化に触れながらも、土地の恵みと伝統を大切にしてきた平戸の精神が息づいています。志々伎の海と山、そして人々の暮らしが織りなすこの地で、福田酒造はこれからも「心でつくり、風が育てる」酒を醸し続けます。 日本の古(いにしえ)の世界と原風景が脈々と息づく志々伎の美しさを、一本の酒に込めて。
【福岡県久留米市・池亀酒造】日本酒に黒麹!?その名も「黒兜」!城島の地で黒麹を極めた創業150...
東に灘があれば西には城島がある。 福岡県久留米市にある城島は、九州最大の酒どころ。創業150年を迎えた池亀酒造はこの城島の地にて「酒どころ」の基盤を構築した酒蔵です。 明治8年(1875年)、初代蔵元「蒲池源蔵」が九州一の大河筑後川の下流に位置する三潴郡城島郷にて創業。進取の精神で筑後川の水を利用した新しい醸造法を考案、当時を養成するなど筑後地方の酒造りに大きく貢献しました。その貢献度は池亀酒造各代の蔵元に褒章が授与され続けるほど偉大なもの。 初代源蔵の気風はその後も受け継がれ、池亀酒造は代を重ね、筑後川の伏流水や福岡県産の米にこだわるのはもちろんのこと、自家培養酵母を育てる分析室を設けるなど伝統と革新を融合させた斬新な商品づくりに日々邁進してきました。 古式純米酒「明治乃酒」や常圧式大麦焼酎「ちくご胡坐」など多くの人気商品を輩出してきた池亀酒造ですが、その最たる商品が五代目蔵元「蒲地輝行」社長が開発した全国的にも珍しい日本酒に黒麹を使用した純米吟醸酒「黒兜」。そして日本初のゼリー状の梅酒「ゼリー梅酒」です。 通常、日本酒には黄麴を使用しますが「黒兜」は焼酎造りに使用される黒麹を敢えて使用。秘伝の麹造りのもと試行錯誤を重ね、黒麹の持つクエン酸を活かした今までにない果実味のある味わいに仕上げ黒麹酒のパイオニア的存在となりました。 ゼリー梅酒に関しては、門外不出の製法で誰も真似することが出来ないと自負するほど蒲池社長のまさに研究の賜物。大分県・福岡県産の完熟大梅を米焼酎で仕込み独自の技術でゼリー状にした梅酒は、瓶を振るとぷるぷるとろとろの味わいが楽しめる逸品です。どちらも平成19年(2007年)に発売以来、たくさんの愛飲家によって支持され続け今では池亀酒造の看板商品となっています。 また、お酒以外でも池亀酒造の直売所「かめのこ」で販売されている「甘酒ソフトクリーム」も訪問客には人気で、商品開発に余念がありません。 その他、池亀酒造では酒造りだけではなく、精米所だった蔵をリノベーションしたレンタルスペースも設け、アーティストとコラボした展示会や日本酒との食事会などを開くなど時代に寄り添った酒蔵として城島の酒どころを牽引しています。
【福岡県久留米市・池亀酒造】日本酒に黒麹!?その名も「黒兜」!城島の地で黒麹を極めた創業150...
東に灘があれば西には城島がある。 福岡県久留米市にある城島は、九州最大の酒どころ。創業150年を迎えた池亀酒造はこの城島の地にて「酒どころ」の基盤を構築した酒蔵です。 明治8年(1875年)、初代蔵元「蒲池源蔵」が九州一の大河筑後川の下流に位置する三潴郡城島郷にて創業。進取の精神で筑後川の水を利用した新しい醸造法を考案、当時を養成するなど筑後地方の酒造りに大きく貢献しました。その貢献度は池亀酒造各代の蔵元に褒章が授与され続けるほど偉大なもの。 初代源蔵の気風はその後も受け継がれ、池亀酒造は代を重ね、筑後川の伏流水や福岡県産の米にこだわるのはもちろんのこと、自家培養酵母を育てる分析室を設けるなど伝統と革新を融合させた斬新な商品づくりに日々邁進してきました。 古式純米酒「明治乃酒」や常圧式大麦焼酎「ちくご胡坐」など多くの人気商品を輩出してきた池亀酒造ですが、その最たる商品が五代目蔵元「蒲地輝行」社長が開発した全国的にも珍しい日本酒に黒麹を使用した純米吟醸酒「黒兜」。そして日本初のゼリー状の梅酒「ゼリー梅酒」です。 通常、日本酒には黄麴を使用しますが「黒兜」は焼酎造りに使用される黒麹を敢えて使用。秘伝の麹造りのもと試行錯誤を重ね、黒麹の持つクエン酸を活かした今までにない果実味のある味わいに仕上げ黒麹酒のパイオニア的存在となりました。 ゼリー梅酒に関しては、門外不出の製法で誰も真似することが出来ないと自負するほど蒲池社長のまさに研究の賜物。大分県・福岡県産の完熟大梅を米焼酎で仕込み独自の技術でゼリー状にした梅酒は、瓶を振るとぷるぷるとろとろの味わいが楽しめる逸品です。どちらも平成19年(2007年)に発売以来、たくさんの愛飲家によって支持され続け今では池亀酒造の看板商品となっています。 また、お酒以外でも池亀酒造の直売所「かめのこ」で販売されている「甘酒ソフトクリーム」も訪問客には人気で、商品開発に余念がありません。 その他、池亀酒造では酒造りだけではなく、精米所だった蔵をリノベーションしたレンタルスペースも設け、アーティストとコラボした展示会や日本酒との食事会などを開くなど時代に寄り添った酒蔵として城島の酒どころを牽引しています。
【北海道虻田郡倶知安町・二世古酒造】北の大地のリゾート地ニセコで日本酒「二世古」を醸す継承蔵に...
二世古酒造(にせこしゅぞう)について 「ニセコ」と聞いてまず思い浮かべるのは外国人観光客に絶大な人気を誇る北海道随一のウィンターリゾート地。 標高1,308mのニセコアンヌプリを頂点に連なるニセコ山系、日本百名山の羊蹄山などの山々に囲まれ、中央には清流日本一の尻別川が流れるなど豊かな自然が迎えてくれます。特にシーズン中、毎日のように降り積もるパウダースノーを求めて国内のみならず世界各国からスキーを楽しむ方々が訪れることは大きな話題となりました。 二世古酒造は、その雄大なエリアの3つの町から構成される【ニセコ観光圏】の一つである虻田郡倶知安町(あぶたぐんくっちゃんちょう)に蔵を構えます。 昭和47年(1972年)、もともとこの地で根付いていた大正5年(1916年)創業の造り酒屋を現在の水口家が事業承継したことにより二世古酒造へと生れ変わりました。 蔵の傍には富士山のように美しい円錐形を描いた形から「蝦夷富士」と呼ばれている「羊蹄山」がそびえており、"佳い酒に真心添えて。羊蹄のふもとに名酒あり”とスローガンを掲げて水、米、空気にこだわった酒造りが行われています。 また、冬には深い雪に覆われる厳しい環境の中、かまくら状態となる蔵では「かまくら低温発酵」を行うなど大地の息づかいを感じながら、三代目蔵元杜氏「水口渉」さんを始めとした蔵人たちは一年一年、丁寧に酒を仕込んできました。 事業継承時から引き継いだ代表銘柄が「二世古」。仕込み水には羊蹄山の恵みで育まれた伏流水。米には「彗星」を始めとした3種の北海道産米を主に使用。倶知安町、そして北海道の恵みを余すことなく詰め込んだ正真正銘の道産酒と言えるでしょう。また、加水調整しない原酒にこだわっているのも特徴で、酸のある食中酒タイプは魚介と合わせていただくとその旨味を発揮してくれます。 蔵を継承した当時は、なかなか地酒文化が根付かなかった時代。二世古酒造は、"北海道に地酒文化を。”の志のもと酒造りに勤しみ続け、自然の雄大さと蔵人の情熱が調和した味わいとして、いま、全国の日本酒ファンに愛されています。 近年では農業高校の生徒との酒造りや「ニセコ発酵ツーリズム」の促進など地域に寄り添う地酒蔵として現在進行形でこの地に根を張っているのです。
【北海道虻田郡倶知安町・二世古酒造】北の大地のリゾート地ニセコで日本酒「二世古」を醸す継承蔵に...
二世古酒造(にせこしゅぞう)について 「ニセコ」と聞いてまず思い浮かべるのは外国人観光客に絶大な人気を誇る北海道随一のウィンターリゾート地。 標高1,308mのニセコアンヌプリを頂点に連なるニセコ山系、日本百名山の羊蹄山などの山々に囲まれ、中央には清流日本一の尻別川が流れるなど豊かな自然が迎えてくれます。特にシーズン中、毎日のように降り積もるパウダースノーを求めて国内のみならず世界各国からスキーを楽しむ方々が訪れることは大きな話題となりました。 二世古酒造は、その雄大なエリアの3つの町から構成される【ニセコ観光圏】の一つである虻田郡倶知安町(あぶたぐんくっちゃんちょう)に蔵を構えます。 昭和47年(1972年)、もともとこの地で根付いていた大正5年(1916年)創業の造り酒屋を現在の水口家が事業承継したことにより二世古酒造へと生れ変わりました。 蔵の傍には富士山のように美しい円錐形を描いた形から「蝦夷富士」と呼ばれている「羊蹄山」がそびえており、"佳い酒に真心添えて。羊蹄のふもとに名酒あり”とスローガンを掲げて水、米、空気にこだわった酒造りが行われています。 また、冬には深い雪に覆われる厳しい環境の中、かまくら状態となる蔵では「かまくら低温発酵」を行うなど大地の息づかいを感じながら、三代目蔵元杜氏「水口渉」さんを始めとした蔵人たちは一年一年、丁寧に酒を仕込んできました。 事業継承時から引き継いだ代表銘柄が「二世古」。仕込み水には羊蹄山の恵みで育まれた伏流水。米には「彗星」を始めとした3種の北海道産米を主に使用。倶知安町、そして北海道の恵みを余すことなく詰め込んだ正真正銘の道産酒と言えるでしょう。また、加水調整しない原酒にこだわっているのも特徴で、酸のある食中酒タイプは魚介と合わせていただくとその旨味を発揮してくれます。 蔵を継承した当時は、なかなか地酒文化が根付かなかった時代。二世古酒造は、"北海道に地酒文化を。”の志のもと酒造りに勤しみ続け、自然の雄大さと蔵人の情熱が調和した味わいとして、いま、全国の日本酒ファンに愛されています。 近年では農業高校の生徒との酒造りや「ニセコ発酵ツーリズム」の促進など地域に寄り添う地酒蔵として現在進行形でこの地に根を張っているのです。